10月21日の内容報告

 どうも、こんにちは! 「せまい日本そんなに急いでどこへ行く」っていい言葉ですよね。せわしなく何かをすることは、逆に、その行為をする理由を忘れてしまうということもありますよ、きっと。だから、時間は有限なものと理解したうえで、ゆっくり、自分がどう生きるかを考え実行していくということが、人間として生きるということにつながっていくのではないでしょうか。どうもゼミ長です。いやぁ、月日がたつのは早いものですね。皆さんお元気でしょうか? 風邪引いていませんか? 秋晴れの日の清々しさを感じ取れる今日この頃。それでは、内容に入ります。
 今週は、先生が持ってきてくださった二つの文献を読みました。
一つは、週刊読書人2005年10月7日の『フリーター/ニート増加の背景』(斎藤貴男)という記事について。フリーター/ニート増加の背景を、新自由主義という背景、若者が食い物にされている現実などを含めて書かれた記事で、非常に刺激的でした。フリーター/ニートが、明日はわが身と考えると、僕らが考えていかなくてはならない問題でしょう。
二つ目は、現代社会学研究VOL.15/2002(北海道社会学会)の中から、『「ホモ・アカデミクスの社会学」の現代的課題』(井上芳保)の論文です。
内容は、フランスの社会学ピエール・ブルデューの追悼文。および、日本社会学会第74回大会で井上芳保(僕らの教授です)が参加しての考察から「心理主義化社会」「専門資格制度」「社会調査とはどのようなものか」をブルデューの功績に学びつつ考えていくというものでした。ブルデューの知的遺産は、社会学社会学であるための手がかりになる。そして、それらのことを熟考することの大切さを、社会学を学ぶ一人の学生として考えさせられました。
次回は、思想97年2月号No.872(岩波書店)の中の『社会学的対話についての考察――P・ブルデュー「世界の悲惨」をめぐって――』(パトリック・シャンパーニュ、杉山光信訳)を取り上げるということで、3人レポーターが決められ、それぞれが分担された箇所を要約してくることになりました。

余談
 次回の文章は、非常に難しいらしい。教授は、これくらいの文章は読んでくださいとおっしゃっていました。僕は負けず嫌いな性格なので、そういった発言は挑発としてとらえてしまい、「よし、やってやる!!」と考えてしまいます。実は、教授の手の内で転がされているだけかも(笑)。でも、それは教授が僕たちのことを考えてくれているという証明に他ならないと思いますしね☆ では、この辺で失礼します。