12月16日の内容報告

ジングルベー、ジングルベー鈴が鳴る。大学生協にツリーが飾られました。生協の人に話を聞いたところ、飾りを取っていく人がいて困っているそうです。皆さんそういうことはやめましょう。というわけでゼミ長です。どうですか、年末で忙しいですか? 僕は非常に忙しいです。さすがは師走!! 侮れません。でも、疲れたときや寒さに打ちひしがれたとき、鍋を食べると元気が出ます。大勢で囲んで食べる鍋は格別ですよ。一人暮らしでも一人用の鍋を・・・(涙) やはり、鍋は大勢ですよ。外は寒いけど、人の心の温かさを感じられるこの季節。好きです。
今回は夏季レポート講評の2回目、ゲストの方が3人いらっしゃいました。
では内容です。内容が無いよう(!!) す、すいません

「漫画「DEATH NOTE(デスノート)から考える善悪」
「ボランティアの問題」
「学校生活にみる人間関係、教育の現場」
の三本のレポートです。


「漫画「DEATH NOTE(デスノート)から考える善悪」
デスノートとは、週刊少年ジャンプに連載中の作品であり、名前を書かれたら必ず死ぬというノートを手に入れた少年が、理想の社会にするために悪人をどんどん殺していく物語である。←この説明では不安が残るので詳しくは漫画をお読みください
ここでは特に人を殺すのは善か悪か。戦争とはどういうものかという方向へ議論が行きました。
アメリカが自分の正義の名の下に人を殺しているが、経済的側面から見たほうが正しくイラク戦争を捕らえられるかもしれない。正義と悪を分けてしまったほうがもしかしたらいいかもしれない、あいまいにしているから起こる悲惨さがあるのでは? 人を殺すことで英雄とされる場合がある。まわり(戦争)に流されて生きるのはとても楽なこと、だからこそ人はそこに落ちやすい。
死刑に処すということは結局人が人を殺すということである。世の中にある法律では全ての犯罪は取り締まれない。ある程度の犯罪は目を瞑るべきだろう。
人を殺すことを賛美しない思想を作ることを考えていくべきだろう。
「人を殺すのはよいことではない、なぜなら自分が殺されたくないから」 これはゲストの方のお言葉です。僕にとってこの言葉はとても印象的でした。戦争では大勢の人が死んでいってしまいます。死者数XX万人などと一言で片付けられてしまう今、人を殺す戦争というイメージが薄れていってしまっているのではないでしょうか。ゲストの方の言葉は、人を殺すということを実感させてくれるものでした。
人はなぜ人を殺すのだろう? 人はなぜ戦争をするのだろう? 殺人者は殺された人の人生を背負わなければならない。その重みに耐えられるのだろうか?
悪を定義するときに自分はどの立場から考えているかを見つめていくことが重要でしょう。もし、戦時に自分がいたら、周りに流されていたのかもしれない。そういった自分の弱さを認めないと、過ちを犯していることに気付けないと思います。

「ボランティアの問題」
このレポートは自らがボランティア活動をしているなかで気付いた問題について論じられています。ここでは特にボランティアは誰のためにするかという議論がされました。
人と関わるボランティアをされている方には経験があると思いますが、喜んでくれる受け手と喜んでくれない受け手が存在します。それは受けての問題なのか、それともボランティアをする側にあるのか。それは、ボランティアに対する意識によって変わってきます。ボランティアをする自分への自己愛から動機付けがされている場合、果たしてそれはボランティアなのだろうか。「ボランティアは自己犠牲」という言葉は明らかに上から目線です。高齢者の方への介護ボランティアは、ルーティーン作業になっていることが多いが、そこでは高齢者の感情は無視されているのではないか。
僕にとって特に印象的だった発言は、「ボランティアをすることによって、何らかのフィードバックを貰っている」「相手のために何かをすることによって自分のためにもなる」というものです。
僕はボランティアに対してもっと議論がしていきたいです。

「学校生活にみる人間関係、教育の現場」
ここでは、教育の現場でのいじめや不登校・引きこもりについての議論がされました。
いじめる側も家庭では弱者であることが多い。いじめっ子の親も会社では弱者で、子どもにあたっている場合がある。いじめっ子の問題と、いじめられっこの問題、両方扱っていかなければならないでしょう。
学校からの権力・圧力というものがあるだろう。子どもはその中で生活していかなければならない。足並みをそろえようとする風潮があるのかもしれない。絶えられなくなった子どもたちは、社会からも必要とされていないと思ったりするのかもしれない。
心が揺れるということが誰でもあると思う。でもそれはそんなに悪いことではないはずである。そこで、大人が不快に思ってしまうと、子どもも自分が悪いと感じてしまう。大人と子ども、ともに楽しくやっていける道を模索することが大事だろう。
このような意見が出されました。教育の現場に関しての話し合いは初めてでしたが、とても良い結果となったと僕は思います。

余談
なんともまあ濃い内容のゼミでした。実は、自分のレポートがこの中にあるんですよ。前日から緊張していました。人前で何かを話すとき、自分の考えをまとめる作業がありますよね、あれって結構プラスになります。自分が本当に言いたいことは何なのかを見つめるチャンスですねぇ。チャンスではあるのですが、正味緊張でそれどころではないというのも本音です。発表が終わった後の口の渇き具合ったらもう、きな粉もち以上のものがあります。とりあえず、終わってよかった。きな粉もちの話をしたら食べたくなったのでここらで失礼します。