1月13日の内容報告

あけましておめでとうございます!!!m(__)m 今年も井上ゼミと私ゼミ長をなにとぞよろしくお願いします。 2006年ですよ、2006。 2000年に生まれたお子さんはもう少しで小学生になるんじゃありませんか!? ふぅ、今年が皆さんにとっても僕にとってもよい年でありますように。 というよりもいい年にします(ぐらいの気持ちで・・・)

皆さんはお正月何をされていましたか? 年賀状をじっくりと読む、初詣に行く、寝る(笑)。様々なすごし方があると思います。しかし、最近は、『正月』というなんとも独特な雰囲気を味わえなくなったような気がするのは僕だけでしょうか。 年賀状をあまり書かなくなり、携帯メールでの新年の挨拶。正月に営業をしているお店が多くなり、年末の買い物が楽になりました。 これだけみると「なんだ、便利になったからいいじゃん」と思えるかもしれませんが、なんと言ったらいいのでしょうか、ちょっとした昂揚感が失われたような気がします。

もう一度、正月を味わってみたいです。車に飾りをつけたりしたいです。


さて、今週のゼミに入ります。
今回は、ようこそ先輩ということで、井上ゼミ卒業生の方がいらっしゃって「ケアの淵源」から見る、ボランティアの意味と役割〜ボランティアは誰のため?〜」です。 


文献として「ケアの社会倫理学―医療、看護、介護、教育をつなぐ―」川本隆史ケアの社会倫理学―医療・看護・介護・教育をつなぐ (有斐閣選書)が使用され、その中の「ケアの淵源」を取り上げてボランティアについて問題提起がありました。

ケアは汚い、臭い。このことは事実であり、「面倒を見る」ことは多大なエネルギーがいる。
だから「世話はかけたくない」「世話にならない」ようにする。
同時ケアは尊い、尊敬されるものという考えが生まれる。

本当に尊いものだろうか。

筆者は何者かも知れぬものからの命令では?と考える。この命令を守らないと、不安や後ろめたさに襲われ、これは人間が人間になる前の段階からずっと付きまとう何かである。


誰かを助けなかったときのことを考えると後悔が生まれる。そんな後悔はしたくない。だから助けるみたいな感じだろうか。


さて、「ボランティア」の問題に入ろう。
ボランティアは決して「無償の奉仕」ではない。
ボランティアは誰のために、何のためにやっているのだろうか?
ボランティアは「尊いこと」といえるだろうか?


このような問題提起がされた中、面白い意見が出た

「ボランティアという言葉は、今では上から目線に聞こえる」

現在、ボランティアという言葉が世の中ではたくさん使われている。中身を見てみると、もちろん素晴らしいものもあるが、昔は日常的に行われていたことがボランティアとされていることもある。

体が自然と動いてしまうことがボランティアとされてしまう。ボランティアと聞くと偽善や就職に便利だからという考えがうかぶことがある。この言葉は何のためにあるのかわからなくなってくる。

僕自身、ボランティアに関わっているが、それは人との縁があったからだと思う。ボランティアやらないか? と見知らぬ人にいわれたらきっと断ってしまうと思う。ボランティアという言葉にとらわれず、人とともに生きて生きたいと思っている。


ゼミ+

なんだか今回はうまくまとめられませんでした。言葉遣いもまちまちで・・・
ごめんなさい。自分自身なんらかの違和感をボランティアという言葉に感じてしまうのでこんなになってしまいました。

どうしよう・・・・


そういえば、ゼミはあと2回で終了します。思い出話はまた今度。

来週もサービス、サービスゥ 『新世紀エヴァンゲリオンより』(うわぁ、エヴァネタだ。懐かしいですね)